2011年7月23日土曜日
徳島20110723_徳島中州市場が宅配サービスを始めるようです
本日付け(2011.7.23)の徳島新聞に、「中州市場が宅配サービス〜地域密着のご用聞き展開」という記事が掲載されていました。最近、中州市場盛り上がっていますね。8月に徳島に戻って来たら、一度訪問をしてみたいです。
徳島新聞web(2011.5.28)に、中州市場の近況についての関連記事がありましたので、転載させていただきます。
県庁からも徳島市役所からも、約300メートル。新町川のほとりに、こぢんまりとした鮮魚店や青果店、精肉店が軒を連ねる。徳島市幸町3丁目界隈(かいわい)は旧町名を「魚町(うおまち)」「内魚町(うちうおまち)」というように、古くからの魚商人の町だった。江戸時代から川沿いに魚市が並び、威勢よく商売を競ったという。
県都の市街地に昔ながらの下町情緒を残し、「市民の台所」として新鮮で安い食材を供給する中洲の市場。大型店の進出やデフレ不況など、経営環境は激変しても、ここには変わらぬ“顔の見える商売”が地域に溶け込んでいる。
現在、中洲の市場を構成するのは、JR牟岐線沿いのテナントビルを運営する株式会社「中洲市場」(10店)と、新町川に沿って店舗を構える協同組合「中洲総合水産市場」(12店)だ。
中洲の市場の興りは、戦後復興への機運が高まる1950年前後のこと。近くの漁港で魚を仕入れて露店商売をしていた鮮魚店主や行商人が、現住所周辺に集まった。池添憲作・中洲市場社長(56)の祖父・徳次郎氏が、自社の蒲鉾(かまぼこ)店の販売力を高めるため、店近くにほかの商店主を大勢呼び込んだのが始まりとされる。
「川沿いに40人ほどの鮮魚店主がトロ箱を並べ、早朝から買い付けに来る郡部の商店主や、午後の仕事帰りの日雇い労働者らとの掛け合いで活気があった」。中洲総合水産市場の林重男理事長(67)は、往時のにぎわいを鮮明に覚えている。
トロ箱を置く場所によって、その日の売り上げが倍以上変わるため、毎朝2時に場所取りのくじ引きが行われた。「最初は40人がジャンケンしていたが、後出ししたとか、よくもめたので最も公平なくじに変わった」と笑う。卸売市場法に基づき73年、沖洲地区に徳島市中央卸売市場が開設された後も「一般の市民にとって”徳島の市場は中洲市場“という認識があった」(林理事長)。
そんな中洲市場が最近、活気づいている。空き店舗を活用し、県立農業大学校や城西高校が学内で育てた農産物を販売する産直市を、定期的に開くようになったからだ。
きっかけは、客足の減った市場の再生・活性化を目指して昨年12月にスタートした「いちばルネッサンス」活動。毎週土曜日に定期イベントを開き、目玉商品販売や空き店舗活用などの集客策に乗り出した。
イベント当日に設置される掲示板には、各店のアイデアがめじろ押しだ。「肝っ玉母さんは宅配サービスを始めました」「500円以上お買い上げの方に冷たい飲み物サービス」。
池添社長は「活動を通じて、各店舗の個性が際立ってきた」と手応えを感じている様子。池添社長が営む創業101年の「池添蒲鉾店」でも、揚げたての天ぷらの実演販売を始めていて、いずれは市場の名物にと、もくろんでいる。
ここ数年、県内ではジャスコやサティなど大手量販店の撤退が続き、車の持てない高齢世帯など「買い物弱者」の増加も地域の課題になっている。中洲市場では「いちばルネッサンス」を契機に、より地域に役立つ”ご用聞き“の役割を強める方針だ。「皆が店主だけに、大店舗に比べてお客さんの要望も聞きやすい。今こそ本物の対面販売を目指す」と池添社長。
協同組合である総合水産市場も、地場の鮮魚などの品ぞろえと、客と会話を交わしながらの商いスタイルは同じ。現在の施設は81年に建てられ、それまでのトタン屋根のバラックから、鉄骨ビルに変わった。道路に面して各商店の間口が並ぶ構造は、通行人との対面販売を重視したものだ。毎年暮れに、迎春準備の人波が押し寄せる光景は、変わらぬ徳島の風物詩である。
「私たち魚売りは、お客さんとの対話があってはじめて商売になる。年々消費志向が変わったり、捕れる魚が減ったりして厳しいが、人情味を大事にしていきたい」(林理事長)。店主たちの威勢のよい掛け声が中洲の地に響く。きょうも、あしたも。
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